Essay 1
チェックアウトで
魔法が解けないで
欲しいと
思った午前3時
SCROLL

一人で時間を過ごすことがあまり得意ではない。一人っ子だから子供の頃は一人で遊ぶのは当たり前だったのに、大人になるにつれてどう一人で過ごすのが有意義なのかわからず、ただ呆然と時間が過ぎる。これからの3日間は自分と一緒に過ごす時間にしよう。とりあえず、スーツケースが錨の重さのようになるほどぎゅうぎゅうに、いるかいらないかわからないものを沢山詰め込んで家を出た。すると、やりたいことが不思議に思い浮かんだ。
午後3時の横浜みなとみらいはじんわりと湿度の高い風が吹いていた。ゴロゴロと大きな音を立てながらスーツケースを転がし、女神橋を渡って海沿いを歩きながらホテルを目指す。電車で1時間ほどの距離なのに、ゆったりと穏やかな景色。なんだかすごく遠い場所にやってきた気持ちだ。心拍数が少し早い。

チェックインを済ませ部屋に入ると、暖かな木目調のアールがかった内装が現れた。好みの内装で思わず壁に手を滑らせる。クルーズ客船に乗ったらこんな感じかなと想像を巡らせつつ、大きな窓を開けてみた。密閉された部屋のひんやりとした空気の中に磯の香りの風が混じる。目の前には海が広がり、思わず「わぁ」と声が漏れた。あいにくの曇り空だと思っていたけど、この窓からの景色は日差しなんてなくても充分に気持ちに光を差した。突然、船の汽笛がゴーッと遠くから聞こえる。そして微かに風向きでどこからか音楽も聞こえてきた。合間には波の音が反復している。


3日間の服とは思えない量を持ってきていた。じっくり配置を考えながら美しく並べてみる。
窓際に大きな白い革張りのキャビネットがある。クローゼットは玄関にあるし、これは一体。ディズニー映画「美女と野獣」のクローゼット夫人を彷彿とさせ、喋ったらいいのになんて夢を見る。革の持ち手をそっと引いてみると、広がったのは優しい光の小さな部屋。あっという間に目の前にバーが現れた。引き出しにはドリンクやグラス。そして色とりどりのカラフルな小瓶に入ったお酒たち。お酒をあまり飲まないのについ今夜手を伸ばしてみようかなと思わせるほど胸が高鳴った。そんな気持ちを落ち着かせるべく、ひとまずペットボトルの水を1本手に取り、部屋を出てジムに向かった。
美味しく楽しく夕食の時間を迎えるための準備として、自分の身体を整える。これも私がやりたかったことのひとつだ。実はホテルのジムに行ったことがない。初めて触るランニングマシーンの操作に頭の中は少々困惑しながらも涼しい顔を装い粛々と歩き続けた。お腹は空腹、気分は爽快。部屋に戻り、早速お気に入りのクローゼットから服を選んで着替える。レストランのドレスコードはスマートカジュアル。ネイビーのニットポロにグレーのスラックスと革靴を合わせ、口紅を塗ってから出かけた。

普段、外で一人で食事をすることはほとんどない。こうして着ていく服まで考えて一人で食事に行くこと自体初めてでそれだけでもドキドキする。席に着くと目の前の窓ガラスに反射した観覧車が見えた。ガラス越しに透ける観覧車は直接見るよりもなんだか儚く優しくて好きだった。



まさか33歳にして一人でキャビアを食す夜がやってくるとは。お母さんに後で報告しよう。一人でいても誰かのことを考えることをやめられず、ホームシックみたいな気持ちが顔を出したとき、本日のスープが運ばれてきた。冷製のコーンスープ、の上になんと見覚えのあるものが浮かんでいる。ポップコーンだ。私はまるで自分の仲間を見つけたかのような安心感に包まれ「あんた、こんなところでどうしたの?」と口元を緩めながらつい語りかけてしまいそうになる。なんて愛らしい姿なんだ。コーンスープに緊張しながら(そう見えた)浮かぶポップコーン。私の緊張はたちまち解け、一気にスープを飲み干した。おかわりなんて言えなかったけど、未だにあのスープにもう一度会いたいと恋焦がれている。
夕食後部屋に戻ると、いつもの家とは違う非現実な空間でつい感嘆の声が出た。自分の服や本など日常で目にしているものが美しい部屋に混在している景色で思い出したのは幼い頃に見たアニメ。ここから私はなんだって出来る。明日のことなんて何も気にしない自由の身だ。ひとまず友人に手紙を書くことにした。出張で一人でいつもと違う場所にいる時はそこから友人に手紙を書くことが習慣で、いつものように頭に浮かんだ言葉をぽつりぽつりと書き連ねた。友人の一人旅の話も聞きたくなって、そんな質問でペンを置く。ここで私はある忘れ物に気付いた、封をするための糊がない。こんなにもいるものいらないものをたくさん持ち込んできたのに大事なものを忘れてしまった。フロントに電話をしてみる。電話先からはとても安心する女性の声。まだ一人で過ごしてからさほど時間が経っていないのに、久しぶりの人との会話だ!と、少々涙ぐみそうになる。ありがたいことにテープを借りることができ、丁寧にケースに包まれたテープが部屋に届いた。文房具一つを借りただけなのになんだか暖かい気持ちでいっぱい。私もこれからもっと人に丁寧に接することを誓った夜。


こんな素晴らしい場所は仕事も捗るはずと胸をときめかせ仕事道具を取り出したのはいいが、夜風と外からほのかに聞こえる人の声、部屋でずっと流しっぱなしにしている名作映画の音が心地よくて窓際のソファから動けなくなってしまった。気持ちの良い眠りに誘われ、気付けば真夜中。映画の続きを見ながら湯船に浸かっていたら午前3時になっていた。お風呂上がりに冷凍庫から楽しみにしていたアイスを取り出すように、クローゼットの引き出しからパジャマを取り出した。着るのを密かに楽しみにしていたエジプト綿のパジャマ。綺麗にベッドメイキングされたベッドに入り込むときと同じように清らかな気持ちにさせてくれる。歯を磨きながら再び窓を開け、夜更けの誰もいない漆黒の港を眺める。ここには私一人だけなんだ、なんて考えていると遠くからバイクの音が通り過ぎていった。この静かな時間が名残惜しくていつまでも窓際に座っていたかったけど、映画を流しっぱなしにしてベッドに寝転んだ。

窓からは眩しい光が差し込んでいて、朝8時にしっかりと目が覚める。まだまだ寝ていてもいいが、目を覚ましたのには理由がある。それはルームサービス。名前の響きが大好きだ。自分が生活する空間に美味しいものが魔法のように運ばれてくる。子供の頃から密かに憧れていて、今回とても楽しみにしていた。

早速アメリカンブレックファストを注文して、身支度や読書をしながら待つ。コンコン、とドアをノックする音と共に待望のルームサービスがやってきた。食パンに目玉焼き、サラダ、スープ、ヨーグルトなど朝食オールスターが私の部屋に集まる。いつも朝食は時間に追われさっと済ませることが多いから、誰かが手塩にかけて用意してくれた朝食は嬉しいに決まっている。その後も、夕方にシーザーサラダとミントティー、お夜食の炊き込みご飯など憧れが束の間の現実になった喜びを存分に味わった。白いクロスの掛けられた配膳台に綺麗に並んでやってくる食事はより一層特別な存在感を放っていた。


朝食後、眠気がやってきた。朝から聴いていたのはドビュッシーのピアノ音楽。なぜか家でも外でも一人になるといつも聴きたくなる。心の平穏が保たれる音と空間にもう少しぼーっとしてもいいか、と頭の中のやりたいことリストを一旦停止させた。いつも通り呆然と時間は進んでいくけど、時間が溶ける感覚がいつもの物悲しいものとは違う。時間と共に心に栄養がみるみる戻っていく。
やっと仕事に取り掛かったのは日暮れ。何か集中するエンジンをかけないと走り出せない私は、お気に入りの母が着ていたワンピースに着替えネイルを塗ることにした。海を想像したブルーのネイル。部屋の絨毯が波打ち際の砂浜のように見えて、裸足で絨毯の上を歩くと、波打ち際を歩いている気持ちになった。そして、思い出したかのようにまた窓辺に吸い寄せられる。やっぱり今日も曇り空。薄いブルーグレーの空にピカっと光る横浜ベイブリッジや大きな船たちはどこか遠くに意識を連れて行ってくれて、頭の中を膨らませて引き延ばしてくれる気がする。なんだかとても好きな景色だなと心惹かれた。顔を上げたらその景色がすぐに見えるような場所に椅子を置き、そこで仕事を始めることにした。何度も顔を上げて、変わりゆく空の色を伺いながらブルーにまつわるエッセイを書いた。


相変わらず夜中の3時まで起きている。昨日の夜は最初の夜だったけど、今日はもう最後の夜。昨日の無敵モードは何処へ、明日の12時には魔法が解けてしまうのかぁ。と、さっき映画で見たシンデレラのようなことを考えながら本を片手にベッドへ。まだ1時だったらもう少し窓辺にいてもいいのに、とこの部屋で過ごす少しの時間も惜しくなる。
あっという間にこの部屋を出ていく朝がやってきた。前日の夕方に気付いてしまった好きな景色を最後の最後までずっと眺めていた。最後は土砂降りだったけど、海に打ち付けられた雨のサラサラした音がとても綺麗だということを知る。もう一日くらいここにいたい、なんて言葉が頭に浮かんだ。12時にちょうど聞こえた船の汽笛と共に私も部屋を出発した。

無事にみなとみらいのポストに手紙を投函して、私の自分と過ごす日々も終わり。一人の時間も悪くないどころか、この時間は時折また必要なものな気がした。ここでしか思い出せない自分がいたように思う。あの部屋で過ごした時間は今も私の背後に尾を引いて引き波のようにゆっくりと流れている。
PROFILE

モデル/文筆家
小谷 実由
OTANI MIYU
1991年東京生まれ。14歳からモデルとして活動を始める。自分の好きなものを発信することが誰かの日々の小さなきっかけになることを願いながら、エッセイの執筆、ブランドとのコラボレーションなどにも取り組む。猫と純喫茶が好き。通称・おみゆ。
著書に「隙間時間(ループ舎)」
J-WAVE original Podcast番組「おみゆの好き蒐集倶楽部」のナビゲーター。
J-WAVE「FAV COLLECT CLUB-OMIYUNO SUKI SHU SHU CLUB」ナビゲーター。
宿泊した客室

クラシック ヨコハマハーバービュー
1ベッド(ダブル)
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(7月26日 – 8月26日)
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