Essay 5
今日はいつで、
今どこにいるのだっけ、
もうすこしだけ
SCROLL

光の中でうすく目を開き、再び瞑ったのも束の間、ブオ―――― という音で跳ね起きる。その正体を認め、そうだった、ここは埠頭なのだ、と思い出して伸びをした。汽笛に起こされる朝もわるくない。9:15 。夢を見なかったのは久しぶりで、かなりぐっすりと眠れたのだと思う。空と海の淡い青色がこの部屋にも伸びてきて、景色と繋がっている。それを包み込むような、角のない天井。家具の皮張りと木の素材。やっぱりここは船の中なのかもしれない。窓際の机では昨日エスプレッソを飲み干したカップが赤レンガ倉庫を眺めている。天気がいい。パジャマの綿が心地いい。とろとろと過ごしているうちに今日は進んでゆくのだけれど、部屋に置かれた小さなアナログ時計は今だけを訴えず、これまでとこの先の時間をわたしに見せて、「どう過ごしたっていいのだ」と言ってくれているみたいで、それがたまらなくうれしい。朝ごはんを食べたらそのまま散歩にいこう。身支度をしながら、ここにきたのがずっと前のことのように思えてくるのは寝ぼけているからなのか、それともまだ夢の中なのか。

昨日は曇天だった。
白鳥のひな色の雲々がそびえ立つビルの高層階を覆い隠して、まるで無限に続いているように見せている。遥か未来、建物が縦横に途方もなく伸びて、車や人がその間を行き交う世界.. 最近観た映画にそんなシーンがあったこと、SF作品に出演することはわたしの夢のひとつで、まだそれは叶えられていないこと、次々と頭に浮かんでは、みなとみらいの景色と一緒に流れていった。

ぽつりぽつりと雨が路を濡らし始め、巨大な雫のモニュメントが艶を得る。傘はぎりぎりまで差したくなかった。花粉症の身には春の雨なんて大歓迎だし、自分のことを一度洗濯したい。このホテルに泊まれると分かってからのわたしは、春を目前とした虫や小動物のように、はたまた恋する女学生のように、そわそわと浮足立っていたと思う。どんなに現場の朝が早かろうと夜遅かろうと、あの一室がわたしを待ってくれていると思えばすべて大丈夫になった。大袈裟ではない。昨日までの撮影もひと段落し、憶えたセリフをひとつずつ手放していく。荷造りついでに家じゅうに雑巾をかけ、全部の布団を洗い、クランクアップで貰った花束を花瓶に挿して家を出る。滞在から戻ってきたときに、少しでも魔法を長続きさせるため。毎日完璧な状態を保つことのなんと難しいことか。気力も時間も余白が必要だよなあと思う。


よこはまコスモワールドを抜け、カップヌードルミュージアムを通り過ぎ、海に沿って歩いていると、靄の向こうにインターコンチネンタル横浜Pier 8が見えてきた。一瞬、雨が強くなったので、松の木の下に入る。少し丘になった場所から眺めているせいか、ホテルの横長の建築からその先のハンマーヘッドクレーンまでが、繋がった一つの大きな船のようで、波間に漂いながら出航を待っている風にもみえる。
エントランスの巻貝に吸い込まれ、ロビーからエレベーターに乗り込む。違う世界への一歩一歩。扉を開けて部屋に入ると、優雅で贅沢な空間のはずなのに、遠い旅から家に帰ってきたかのような安心があって、胸いっぱい空気を吸い込んで、吐き出した。荷を下ろす瞬間が大好きだ。抱えていたものを一度手放して、本来の身の重さになる。開放的なこの部屋は全てを受け止めてくれて、わたしはより軽く、素朴になれる。キングサイズのベッドにダイブしたいがために、ポケットの中のものを全て出した。読みかけの『レベッカ』上巻、PENTAX KM、友人が編んでくれたフィルムポーチ、インカローズのブレスレット、石の自由帳、Juice upのボールペン、リニューアルした横浜美術館の冊子とチケット。ちょうど開催されていた「ヨコハマ展」では、世界に開かれた貿易港である横浜を舞台に、開港前に生きた人々の暮らしから、港のまわりの女性や子ども、さまざまなルーツを持つ人々に想いを巡らせた。震災や戦争を乗り越え、形を変えてゆきながら、新しい人々と文化が絶えず行き来してきた。そしてわたしも、この港に流れ着いた一人なのだ。机に置かれていたお菓子をいただく。浮き玉の形をした三色のもなかで、ほろほろとして美味しい。ソファに腰かけて味わっていると、四色目の浮きになって目の前の海に揺られている心地になる。すぐ下からは、周遊バス「あかいくつ」のアナウンス。運ばれてきては、運ばれてゆく、ひと、ひと、ひと。



部屋を出た。廊下のカーペットは波打ち際と白い砂浜のような柄をしていて、奥まで続いている秘密の海岸みたいだ。海の上で海辺を歩くファンタジー。外に目をやれば、3階の中庭に青々とした草木と、石が見える。遠目ではあるがそれぞれ種類が違っている。こんなに大きくてたくさんの石を各地から運んできて、自分の庭が作れたらどんなに楽しいだろうと妄想に耽る。のちに伺った話では、海に浮かぶ島々やその間に佇む水や舟を、石で表現されているとのことで納得した。時と共に変化する抗火石。鋭利で大きな根府川石。乾いている時と水に濡れた時とで表情が変わるのも石の魅力だ。秩父の砕石やみかほ石の青碧、軽石の黒色がより濃くなる雨の日は、石庭の晴れ舞台かもしれない。


レストラン&バー「Larboard」に辿り着く。感動したのは、アラカルトで気になっていた玉ねぎのグラタンスープ。きれいな琥珀色はこんがりと甘い味がした。チーズが追いかけてくる。一緒に頼んだムーラン・ディッサンのなめらかな渋さと、何往復でもしてしまうではないか。メバルのソテーに添えられた焼いたゴボウとアスパラガスといい、ロメインレタスのサラダに入ったトマトといい、メインのお料理の美味しさはさることながら、どの野菜も濃い甘さが印象的だった。ここのところロケ弁続きだったので新鮮な野菜を身体が求めていたのだろう。


結局2日目の朝は部屋でのんびりするのが幸せすぎて、ブランチになった。5階のクラブインターコンチネンタルラウンジで朝ごはん。部屋でルームサービスを取ることも惹かれたが、わたしは昔からサラダバーに目がない。絵を描くようにして皿に盛っていく楽しさ。牧草牛のフィレ肉ローストの柔らかさを味わいながら、椅子やテーブルが波紋を作っているようなカーペットに気がつく。大きな窓から入る光が美しい斜めの影を伸ばしている。入り口のバーカウンターや、奥のミーティングルームで、映画のワンシーンが始まる予感をせずにはいられない。窓からは、昨日は雲で見えなかった海の向こう側が見渡せる。




晴れの日の横浜を歩く。遠くに船の形をした建造物「横浜港大さん橋国際客船ターミナル」を見つけ、そこを目指してみる。すれ違う犬たち。異国の言葉。行きたい場所を話し合っている春休みの学生たちを見ていると、海上を往来する沢山の船すら会話をしているように見えてくる。辿り着いてみると結構大きい。波のようにカーブを描いたデッキで風にあたる。横浜に来てから、あまりにくつろぎすぎてメールを開くのを忘れていたので、溜まった連絡を返し始める。カレンダーを開くと、少しずつ自分の時間が埋まっている。いつもの日々に戻っても、今日みたいな日をちゃんと作ると自分に約束して顔をあげる。と、向こう側にホテルを見つけた。帰ろう。今日はもうひと汗かきたいから。
4階にあるジムにきた。ヨガマット、ストレッチポールにバランスボール、マシンも揃っている。冷蔵庫のお水も自由に飲んでいいのでありがたい。夜ご飯のギリギリの時間まで、身体を動かす。

良く動いたあとのビールが格別なのをわたしは知っている。軽くシャワーを浴びて、祖母の仕立てたジャケットを着る。生前彼女がしていた指輪をして、「Larboard」へ。オリジナルビールのPIER 8 LAGERを注文した。これが美味しかった!飲みやすくいい香り。考えごとや疲れが、外に見える観覧車の灯りと共に溶けてゆく。潮風と春を感じさせる美しい品々が運ばれてきては、情景となって身体を通り抜けていく。花畑にも、海中にも、わたしは行くことができた。





映画の女優さんのような気持ちで部屋に戻る。職業で言ってしまえばわたしもそれなのだけれど、もっと昔、幼い頃に憧れたスクリーンの向こう側の、フィルムに焼き付けられた女性たち。ヒロイン。大好きな音楽をかけて、エプソムソルトの入ったガラス容器を開けて、お風呂に浸かる。凪模様の絨毯と、その先の海を眺めながら、過去に演じてきた役を振り返っては、出会った人達の顔や声を心に浮かべる。あっという間だったのか、長い道だったのか。とにかく一つでも違えば今のわたしにはなっていないだろうし、この海まで連れてきてくれた今までの全てにありがとうを言う。
朝起きると、散々遊んだ跡があった。転がる水彩絵の具。ウォッカの小瓶とカクテルグラスが朝日を跳ね返している。海に浮かんで夢を見ているところを描いた絵葉書は、この滞在を思い出すための栞にしておこう。いつか帰ってきたいと思える埠頭ができたから、未知への好奇心を背負って、安心して船出ができるのだ。「どれ、いってみっかね。」なんて地元の言葉が出てしまうわたしは、どこまでもわたしのままだと少し可笑しくなる。「そろそろ帰りましょうか」「さあ出かけましょうか」どちらも意味するこの方言を、少し大きくなった未来の自分が再び口にして、インターコンチネンタル横浜Pier 8に足を運ぶことを想像する。わたしはきっと、ようく耳を澄ませている。夢の続き、遠くの汽笛を聴くために。

PROFILE

俳優
根矢 涼香
RYOKA NEYA
俳優。1994年、茨城県生まれ。Netflix『極悪女王』で演じたデビル雅美役が話題を呼んだ。主な出演作として、映画『早乙女カナコの場合は』『凪の憂鬱』『シュシュシュの娘』『少女邂逅』などがあり、主演を務めた『ウルフなシッシー』では第18回TAMA NEW WAVEグランプリ・ベスト女優賞を受賞。また、写真家、イラストレーター、映像作家としての顔を持ち、2025年には書き下ろした朗読と歌の公演を企画するなど、自身の表現を深める試みを絶やさない。
宿泊した客室

クラシック ヨコハマハーバービュー
1ベッド(ダブル)
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(7月26日 – 8月26日)
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インターコンチネンタル横浜Pier 8公式アカウント:@icyokohamapier8