Essay 3

越智 康貴

名前をつけて

SCROLL

みなとみらい駅からホテルに向かって歩く。十一月の午後三時過ぎ、まだ明るい空には月が見えている。星の位置が確認できるアプリを立ち上げてiPhoneを空に向けると、見えていない星々まで画面に浮かび上がる。画面上では星と星が結ばれ、アンドロメダ座が、カシオペア座が、こぐま座が浮かび上がる。実際には見えていないけれど確かに星や星の光がそこにあるとされることが不思議に思えて、空を見上げるのが好きになる。それから、海の上を広がる空は、都心と比べて随分広いな、と改めて気づく。それから、iPhoneを月に向けると、しし座のエリアに位置しているのがわかる――月の位置は、自分自身の心理状態と呼応しているように感じる。月は二日半ほどかけて、おひつじ座からうお座までの黄道十二星座をひとつずつ順番に移動する。月がしし座に位置する時、僕の心はいつも揺らぐ。自分自身の衝動が、他人との関わりが、忘れていた後悔が、漠然と漂う。けれどその揺らぎを見つめると、自分自身が無意識的に何を望んでいるのかがわかる。どういう自分でありたいと願っているのかがわかる。それから、この漠とした揺らぎには、まだ形容する言葉が無いように思える。名前が無いように思える。

インターコンチネンタル横浜Pier8に二泊する。新港ふ頭の上にあるホテルで、部屋の窓が大きく、開放できて港が見える。チェックインして、しばらく部屋でぼんやりしていると、いつの間にか日が片かげりになった。まもなく、風が吹いて思い出したように揺れるレースのカーテンが一層存在感を増して、風が目に見えているように錯覚する。カーテンを開けて海を眺める。ふ頭沿いの灯りや近隣の建物の灯りが反射して、水面が生き物みたいに不均等な動きで光を返している。まもなく、波のゆらめく音が鳴き声に思えてくる。まもなく、海は常に動いていて、全く同じ形である瞬間はきっと少しも無いのに、海、という名前で丸ごと捉えられていることが不思議に思えてくる。
 ベッドに寝転び、スピノザという哲学者のことを解説している本を読む。神様が無限に広がるシーツだとしたら、僕たちはシーツにできたシワである、というようなことが書いてある。この「みんながひとつのものである」という感覚が立ち現れることは僕にもあって、その時にはよく海を思い出す。人も、物も、自然も何もかも、ひとつの存在の変容だという考え方なんだと思う。つまり、僕たちはみんな海なんだけれど、その海に上がる水飛沫のたった一粒なんだろうな、水飛沫という名前に変わってしまって、それが海そのものなのだとわからないんだろうな、と思う。だから何、というわけではないけれど……。言い訳ついでに本と思考から目を離す。もう一度、大きな窓から港を眺めると、すっかり夜が降りていた。

ディナーを予約したレストラン&バー「Larboard」へ降りる。夜景と港が見える窓側の席に座って、一人で淡々とコース料理を食べる。アルコールを合わせながら、アミューズ、アペタイザー、スープ、魚料理、メインの肉料理、デザートを、運ばれるがままに食べていく。窓の外を眺めながら食べ進むにつれて、一方では、どんどん日常から離れていく気持ちがする。もう一方では、それでも仕事のことを考えている。このコース料理と同程度の金額の花束をつくるとき、同じように心から満足していただけるものが提供できているのだろうか? 同じか、それ以上に素材を理解した適切な仕方で……。この類の考えが浮かぶと、ひとしきり思考を並べたあと、結局答えを持っているのはお客様なのだから自分はできる限りのことをやるしかないな、というところに落ち着く。逃避でもある。いや、でも……。考えを並べて、並べるに任せたまま同時に、おいてけぼりになったような、よすがない心持ちにもなってくる。

ホテルの外へ出て、少し散歩をする。遊園地と呼ぶにはややコンパクトなテーマパークのようなものがみなとみらいの駅前にある(サイズと呼び名が比例しているわけではないと思うけれど、個人的な感覚で)。
 そこを目指す。十分程度で着き、けれど閉園間際で既に閑散としていた。それでも少ない客を乗せて勢いよく回転するアトラクションから、この世の終わりみたいな叫び声が聞こえてくる。アトラクションは奇天烈な配色の光で尾をつくり、回転に合わせて叫び声は離れ、近づき、離れ、近づき、辺りの静けさとのコントラストが妙に滑稽で笑えてくる。ただ通り抜ける程度に歩いただけだったけれど、ディナーからの非日常的な感覚がさらに膨らみを持ち、充分に楽しめた。ホテルへ戻り、疲れていたのか、すぐに眠ってしまった。けれど一度か二度ほど目が覚める。暗闇も助けて夢と現実との境界線が曖昧なまま、それでも揺らぎだけは手に取るようにわかる。

早い時間に目が覚めて、すぐに起き上がりカーテンを開けてから、バスタブに湯をはる。アメニティがBYREDOで嬉しくなる。僕が使っているBYREDOの香水とは香りが違うけれど、同じメーカーだからか根底にある香りに通ずる部分がある。香りによって、部屋と僕自身とが緩やかに結びつき、ホテル特有のよそよそしさが自然と消えたように思える。風呂からあがり、海を見る、空を見る、月がある方へiPhoneを向ける――まだ、しし座のエリアに位置している。

ひとつ下の階に中庭がある。部屋に籠るのも良かったけれど、ホテルを散策してみる。中庭に出ると、一目見ただけでも豊富な種類の樹木や草花が植えられているのがわかる。形だけではなく、色合いや質感もさまざまで、箱庭的な空間に立体感を生み出している。回遊すると自然と花に目がいく。ツワブキが咲いている、カタバミが咲いている、タマスダレが咲いている。それから、尾の長い鳥が飛んできて、樹々の枝々を忙しなく行き交っている。やっぱり、植物も鳥も石も僕も何もかも、ひとつの存在の変容なのかもしれないという気持ちがしてくる。海にあがる水飛沫なのかもしれないという気持ちがしてくる。海そのものかもしれないという気持ちがしてくる。
 屋上へ移動する。ここにも植物がたくさん植っている。フェイジョア、シャリンバイ、見事に実がついているオリーブ。そしてカモメかウミネコかが空を横切る。その軽やかさとは対照的に、ハンマーヘッドがどっしりと港に聳えている。そのふもとを行ったり来たりする観光客と思しき人々を眺めながら、全ての人にそれぞれの人生があるんだよな、と意味もなく達観したように思いを馳せ、すぐにそんな自分が滑稽に思える。くるくるくるくる回転しながら叫び声を上げているのは僕なのだと思える。それから、ホテルの外へ出てみようか悩んだけれど、もう少し考え事がしたいような気がして部屋へ戻ることにした。

iPadで、フランソワ・オゾン監督の『彼は秘密の女ともだち』を流す。主人公の女性が、亡くなった親友の家へ行く。すると親友の夫が女装をして赤ん坊をあやしている、というところからストーリーが始まる。物語の主軸は一見、その彼(女ともだち)の生きる衝動の方向性に焦点が当たっているように見えるけれど、同時に、言葉では捉えられそうにない主人公の欲望が密やかに、それでいて鮮やかに書き出されている。観ている途中から僕の思考は再びくるくる回転しはじめ、僕自身の生きる衝動の方向性は、いったいどこへ向かっているのだろうか、と考えだしてしまう。言葉で捉えてみたい、と考えだしてしまう。もはやiPhoneを空に向けなくても、まだ月がしし座に位置していることがわかる。
 ディナーに出かけるのも億劫になり、ルームサービスを頼む。ローストチキンとウィスキーのソーダ割り。素敵なメニューを眺めながらも、気分を反映したのか華やかさに欠けるオーダーになってしまった。けれど素晴らしく美味しくて、ひとりで嬉しくなっていた。ひとりで嬉しくなってから、食後にまた大きな窓を開けて海を眺め、呪文のように「明日から新しい自分になろう」とつぶやく。それがどんな自分かはわからないけれど、でもきっと、素晴らしい自分に……。それから、理想とする自分を言葉にして並べ、それらが現実化するところを想像する。けれど理想の自分を表す言葉は並べたそばから消えていく。まだ漠とした揺らぎが寄り添っているのがわかる。まだ月がしし座に位置しているのがわかる。もう一度、理想とする自分を言葉にして並べ、今度は並べるに任せたままにする。すると、安心のために自分で自分をひと所に留めようとしているのがわかる。同時に、何物からも縛られずに自由でいたいと願っていることもわかる。使い切れなかったエネルギーが怒りとなって表出するのがわかる。ルールの定まっていない交差点で衝動がバラバラの方向に働いているのがわかる。それから、交差点の中心にいる僕自身を見つめる。それらの衝動を捕まえてひとつひとつに名前をつける。まもなく、この漠とした揺らぎを形容する言葉を思いつく。名前をつけることができる。それは――

目が覚め、カーテンを開ける。強烈な朝日が差し込む。朝日で部屋中がオレンジ色に照らしだされる。僕も照らしだされる。海も照らしだされて、生き物みたいに不均等な動きで光を返している。そして鳴き声が聞こえる。
 名残惜しくもチェックアウトして、駅まで歩く。街には仕事に急ぐ人がいる、学生の群れがいる、所在なさげにベンチに座って項垂れている人がいる。僕は、自分がこの街に暮らしている姿を想像してみる。今までの仕組みを壊した新しい自分を想像してみる――悪くないと思えてくる。それからまもなく、どこへ行くのも、どうやって生きるかも自由なんだと思えてくる。それからまもなく、すでに月がしし座には位置していないことがわかる。漠とした揺らぎが消えているのがわかる――なぜ? 実際に月が移動したから? それとも揺らぎに名前をつけたから? わからない。けれど、まだ強い日差しに、新しい僕が照らしだされていくのがわかる。海が照らしだされていくのがわかる。

PROFILE

越智 康貴

フローリスト

越智 康貴

YASUTAKA OCHI

1989年生まれ。フローリスト。表参道ヒルズで『DILIGENCE PARLOUR』というフラワーショップを営むほか、花を中心に、文章や写真を通して様々な制作活動を行っている。

J-WAVE
『おみゆの好き蒐集倶楽部』コラボレーション

キュレーターである小谷実由さんがナビゲートするJ-WAVE番組「おみゆの好き蒐集倶楽部」では、2024年1122日(金)と1129日(金)の2週にわたって、横浜みなとみらいを舞台にした86お散歩編87対談編を放送しました。#86はホテル周辺を散歩し、#87は越智康貴さんとともに、ここ、インターコンチネンタル横浜Pier 8にて対談されています。
下記URLより視聴可能ですので、お二人が醸し出す心地よい空気感やPier 8の「好きなところ」についての楽しい会話を本エッセイと併せてお楽しみください。

J-WAVE original Podcast「おみゆの好き蒐集倶楽部」
86 横浜お散歩日和InterContinental Yokohama Pier 8を目指してふと、埠頭へ
87 ふと、埠頭で、フローリスト越智康貴さんと語る波の音と風の音、特別な時間を感じるホテルステイ!

宿泊した客室

クラシック ヨコハマハーバービュー

クラシック ヨコハマハーバービュー

1ベッド(ダブル)

Instagram投稿キャンペーン

(7月26日 – 8月26日)

インターコンチネンタル横浜Pier 8公式Instagramアカウントをフォローのうえ、「ふと、埠頭で」エッセイの感想に当ホテルアカウントのメンションをつけてストーリーズに投稿いただくと抽選で宿泊券をプレゼントいたします。

インターコンチネンタル横浜Pier 8公式アカウント:@icyokohamapier8

宿泊予約